ユヴェントス 〜 ダブル・クラウン



 



 1990年
 イタリア・スーパーカップ  ナポリVSユヴェントス
 バッジョ - ユヴェントス初の公式戦もマラドーナひきいるナポリに 5-1 で敗れる 
 9月9日
 '90−'91シーズン セリエA 対パルマ戦 ユヴェントスで初得点
 10月21日
 対ラッツィオ戦で セリエA100試合出場達成
 12月2日
 第一子 誕生
 1991年5月7日 - 24歳
 ユヴェントス移籍後、初のフィレンツェでの対フィオレンティーナ戦
 バッジョはティフォージからの激しいブーイングの中プレーし50分にPKを得る
 ( キッカーはバッジョと決まっていたがバッジョはこれを拒否 )
 
( 後年、バッジョは試合前にPKのキッカ―は、別の選手が蹴る事で
 監督と合意していたと語っている - 2001年4月8日訂正 )

 ディ・アゴスティーニがGKのマレッジーニにとめられて失敗する
 直後にバッジョは交代しピッチを去る
 ピッチを去るときフィオレンティーナのティフォージが
 投げ込んだマフラーを首に巻いて退場する
 しかし、ユヴェンティーノはこのバッジョの行為を見逃さずPK拒否と会わせて
 非難をする
 ( 後にバッジョは「GKのマレッジーニとは一緒にやってきた仲だ
 そんな状態で冷静になれるはずもないし成功するとも思わかった」と答える )
 10月18日
 イタリア代表監督に アリゴ・サッキ氏就任
 12月21日
 フォッジアでのイタリア対キプロス戦サッキ監督はバッジョを起用
 55分にゴールを決め 2-0 で勝利する
 1992年10月14日 - 25歳
 '94W杯予選カリアリでの対スイス戦で83分にゴールを決め
 その後もイタリアが1点を奪いかろうじて同点に持ちこむ 2-2
 11月9日
 ユヴェントスVSウディネーゼ戦で4ゴールを決める21分・23分・42分・86分
 ハット・トリックとしてはフィオレンティーナ時代に続き2度目
 '91-'92シーズン終了後 ユヴェントスをひきいて初来日
 報知新聞の、ジャパン・ツア―で初来日
 日本代表と神戸と東京で親善試合を行う
 バッジョらユヴェントス一行は伊丹空港に到着
 トラパットーニ監督・ヴィアッリ・バッジョら3人は
 記者会見終了後タクシーでホテルへ向かう
 バッジョは車中で通訳に創価学会関連の施設の場所を尋ねる
 また同席のトラパットーニ監督とヴィアッリに自分が仏教( 創価学会 )
 の信仰をしていること。 また、創価学会の活動について熱っぽく語る
 神戸では創価学会兵庫池田文化会館を訪問する
 神戸のホテルでは、地下のゲ―ム・センタ―にチ―ム・メイトと共に
 入り浸っていたという
 バッジョは、子供の頃からカリフォルニアそして
 日本を特別に思っていたと語っている
 日本は、エレクトロニクス・武道という興味引くものがあったが
 自身でも不思議ではあったが、惹かれていたという
 また、東京では三浦和良選手がバッジョをホテルに訪問している
 その後も、バッジョが来日するたびに三浦選手から滞在先のホテルに
 ウェルカム・シャンペンが届けられている
 1993年2月24日 - 26歳
 '94W杯予選 ポルトでのポルトガルVSイタリア戦 ( 1-3 )
 開始早々2分にゴール
 5月9日
 セリエA 30節 ユヴェントスVSフォッジア戦で
 
自身3度目のハット・トリック達成
 5月19日
 UEFA杯獲得 !!
 1回線 - アノルトシス ( キプロス )   2回戦 - パナシナイコス ( ギリシャ )
 3回線 - シグマ ( チェコスロバキア ) 準々決勝 - ベンフィカ ( ポルトガル )
 準決勝 - パリ・サンジェルマン ( フランス ) ホームでの第1戦ジョージ・ウェア
 に先制点を許すが、55分と90分にゴールを決め同点でアウェーの第2戦に
 のり込み77分に決勝点となるゴールをあげる
 決勝 - ボルシア・ドルトムント ( ドイツ ) アウェーでの第1戦 
 ミカエル・ルンメニゲ( 前・浦和レッズ ) に先制ゴールを決められるが
 ディノとロベルト ( 2ゴール ) の2人のバッジョの得点で勝利
 ホームでの第2戦も3−0で快勝 バッジョがUEFA杯を両手で高々と掲げ上げる
 結局バッジョは9試合で5得点をマークする
 1993年6月17日
 プライべートで2度目の来日
 成田から直接、創価学会本部を夫人と共に初訪問
 人生の師匠と仰ぐ池田大作創価学会名誉会長にお会いする
 その後池田名誉会長と共に当時完成したばかりの戸田記念国際会館を訪問
 夕食も共にしながら歓談の一時を得る
 バッジョは「夢のようです」と振り返る
 6月18日 - 午前
 東京創価学園を初訪問  「創価学園・栄誉賞」を授与される
 同校サッカー部の紅白戦を観戦
 「皆さんから情熱を学ばせていただきました」と感想を
 さらに「私も皆さんのような時期が一番大変でした。でも、その苦労と
 努力は必ず栄光という実を結びます」とアドバイスする
 午後
 創価大学を訪問  「創価大学栄誉賞」を授与される
 その後バッジョの方からサッカー部とのトレーニンク゛を希望創大サッカー部の
 10番を身に付けてグランドへフリーキックなど華麗なプレーを披露する
 そしてこの時、創大サッカー部の「青・黄・赤」の3色に「必勝」と書かれた
 キャプテン・マークを手渡される
 
 9月22日
 '94W杯予選 アウェーでのエストニア対イタリア戦19分にPK
 74分にもゴールを決め0-3で勝利
 1993年10月31日
 '93-'94シーズン・創価大学サッカー部からの「必勝」キャプテン・マークをつけて
 プレー。 
 10節のユヴェントスVSジェノア戦でハット・トリック達成 35分PK・56分・77分PK
 ユヴェントスで3回目自身4回目そしてセリエA100ゴール達成 ( 4-0 )
 11月7日
 ミラノ スタジオ・ジュゼッペメアッツァでの'94W杯予選イタリアVSポルトガル
 1-0で勝利グループ首位でアメリカでの本大会行きを決める
 12月5日
 ユヴェントスVSナポリ戦でセリエA200試合出場達成
 12月12日
 イギリス・ワールト゛サッカー誌選定 世界年間最優秀選手賞授賞
 12月19日
 FIFA選定 世界年間最優秀選手賞授賞
 ( アメリカ・ラスベガスでの'94W杯組み合わせ抽選会の席上 )
 12月26日
 フランス・フットボール誌選定  パロン・ドール授賞 ( 欧州年間最優秀選手賞 )  
 '69年のジャンニ・リベラ  '82年のパオロ・ロッシに次いでイタリア人として
 3人目の世界最高峰の賞を授賞
 先のFIFA・世界年間最優秀選手賞と合わせてダブル・クラウンを勝ち取る
 12月27日付
 ラ・ガゼッタ・デッロ・スポルト紙 一面トップで報道
 インタヴューの中で「かつて、オランダのグリット(フリット)選手は授賞のさい
 パロン・ドールをネルソン・マンデラ氏に捧げると言ったが
 あなたは誰にこの賞を捧げますか?
 バッジョ「私は、ダイサク・イケダ氏に捧げたい
 私の師でありSGI (創価学会インターナショナル) の会長であり
 偉大なる人間です」と答え自分が仏教徒である事を
 初めて公の場で公表した
 またRAI (イタリア放送協会) のインタヴューで
 「今回の授賞によって私の何が変わるわけではりません
  ただプレーヤーとして責任を更に深く感じます」と答える
 1994年5月14日 - 27歳
 第二子 誕生
 6月5日
 ミラノで行われた第12回世界青年平和文化祭に夫人と共に
 出席プログラム終了後出席されていた池田大作SGI会長より
 「最後の一瞬まで闘って闘い抜くことだ」と
 '94W杯へ向けての激励を受ける
 その時、バッジョは池田SGI会長に
 「彼が私をこの仏法にみちびいてくれたんです」とM氏を紹介する
 また、バッジョは文化祭終了後のステージで短くスピーチ
 「文化祭が行われている1時間の間、私は涙が止まらなかった
 この感動をぜひここに来れなかったメンバーの人達と
 分かち合いたいと思います」 と語る
 再び、池田SGI会長より「元気でW杯へ行ってらっしゃい
 私は、あなたの父としてあなたにどんなことがあっても
 あなたを守ります」と激励を受ける
 文化祭終了後バッジョはSGIのメンバーへ感謝の意を表すため
 メンバーが文化祭の後片付けを終了するのを1時間以上待ち
 メンバーの代表と共に自分のなじみのレストランで食事を共にした
 バッジョはこの日・栄光のアズーリの10番に
 R.BAGGIO とネーム入りの
 ユニフォームを池田SGI会長に決意を込めて御贈りした
 H13年5月21日・追加
 前回のW杯の大会よりも、責任感・重圧が増す大会となった
 前年に、パロン・ドールとFIFA世界最優秀選手賞を授賞しており
 また、UEFA杯優勝・イタリアをアメリカW杯へ導いた男として
 それらの全てを、W杯の本番で立証することが求められた